ISHIDA KAZUYASU Official

越境3.0=フラット化する世界

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​ほぼ毎日更新のブログは、メディアに出てこない世界の話題を中心に、僕が実際に見聞経験した一次情報をお届けしています。

 
 
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ジョン万次郎はなぜ貧しい漁師から大出世することができたのか?




石田和靖オフィシャルブログをご覧のみなさま、こんにちは。


みなさん、尊敬する人物はいますか?

僕の尊敬する人物は国内外に11人います(プロフィール参照)


みなさん、多様性・行動力・推進力・情熱に満ち溢れた人たちです。

考え方や行動指針には僕もとても大きな影響を受けています。


僕の尊敬する人物のひとり、ジョン万次郎。

本日のHimalaya音声配信は、このジョン万次郎について解説しました。



中濱万次郎(愛称:ジョン万次郎)


この人がまたスゴイ人です。ホント。

僕は高知県の土佐清水市と色々と関わらせていただいています。

ジョン万次郎の生まれ故郷がこの土佐清水です。


参考記事:

そうだ!今年の夏は土佐清水へ行こう!越境会6周年大会開催!

インバウンド戦略は体験型観光をいかにたくさん生み出すか?その2


土佐清水に行くと、ジョン万次郎博物館があります。


そこに展示されているものや万次郎の手記、様々な記録資料には、

143日間の過酷な無人島漂流生活、アメリカ本土での貴重な経験、

そして日本帰国後の尋問生活から大出世に至るまで展示。


(ジョン万次郎博物館)


彼の生き様を細かく知ることができます。この生き様がスゴイ。


こんな人がいたんだ!って感じ。

土佐清水の貧しい漁師の次男坊として生まれた万次郎。

まだ幼い9歳の頃に父親を亡くし、働きに出ていました。


世界最大最速の海流くろしおがぶちあたる、四国最南端の足摺岬。

万次郎はある日、足摺岬から漁に出てくろしおに流されてしまい

5日間で小笠原の鳥島に漂着しました。1841年、万次郎14歳。


時速100kmで小さな船があれよあれよと流されていくことは、

まだ幼い万次郎にとって、とても恐ろしかったことでしょう。


(足摺岬)


鳥島は小さな火山島であり、植物が生息しにくい島であるため、

食べ物を探すのがとても困難だったようです。

運のいいことに、鳥島はアホウドリの生息地であったため、

アホウドリとその卵を食べてなんとか食いつないでたようです。


水は雨水を溜めて、大切に大切に飲んでいたそうですが、

水が無くなるときもあり、おしっこを飲んで渇きをしのいで、

さらに最後の方はおしっこも出なくなり、その苦しみは地獄だと。


そんな生々しい手記が、ジョン万次郎博物館に残されています。


(ジョン万次郎像と足摺岬)



万次郎の人生を大きく変えた運命の出会い


万次郎が鳥島に漂着して143日後、たまたま通りかかった

アメリカの捕鯨船ジョンハラウンド号に発見され救助されます。


このジョンハラウンド号、ホイットフィールド船長との出会いが、

後々の万次郎の人生を大きく変えるきっかけとなりました。


万次郎の仲間の4人は安全なハワイで降ろされたのですが、

ホイットフィールド船長はいたく万次郎のことを気に入って、


一緒にアメリカに行かないか?

と万次郎を誘いました。そして万次郎は「行く」と即答。

この出会いから万次郎は、江戸時代の末期、鎖国の真っ只中に、

日本人として初めてアメリカ本土に渡ることを決断します。


(ジョン万次郎博物館)


万次郎はアメリカでホイットフィールド船長の養子となり、

とても可愛がられ、実にたくさんの学問の機会を与えられました。


英語・数学・航海技術・捕鯨技術・造船技術・・・などなど

当時の日本人、ましてや貧しい漁師からしてみたら、


世界最先端の学問だったことでしょう

万次郎は毎日毎日一生懸命勉学に励み、学校を首席で卒業しました。

卒業後は捕鯨船に乗り、数年の航海を経て日本に帰国することを決意。


しかし日本は鎖国の真っ只中、日本に帰れるかどうか分からない。

帰れたとしても殺されるかもしれない。色々な思いが駆け巡ります。


日本への帰国資金を作るために、当時ゴールドラッシュに湧いていた

カリフォルニアに向かい、金を掘って得た資金を貯めて一隻の船を購入。

ハワイで別れた漂流仲間のもとへ行き、日本に向けて出航しました。


(足摺岬の満点の星空)



誰も知らない情報を持っていた万次郎


沖縄本島に上陸し帰国しましたが、日本は鎖国真っ只中ですから

日本を飛び出した万次郎は、犯罪者で処罰されることになります。

身柄を拘束され、2年間にもおよぶ薩摩藩の尋問を受けます。


帰国から2年後(1853年)のこと、万次郎は26歳のときに、

ようやく、生まれ故郷の土佐清水に戻ることができました。


1853年はペリー来航、アメリカは日本に開国を迫っていました。


長年鎖国を続けていた江戸幕府には、アメリカの情報は無く、

政府にはアメリカに詳しく英語も堪能な万次郎の力が必要でした。


(ペリー来航)


万次郎は幕府に招聘され江戸へ向かい、幕府直参となりました。

翻訳や通訳、造船指揮、人材育成と万次郎にしかできない仕事が多く

精力的に働き、その後の明治維新へとつながる原点を作りました。


また当時、万次郎の最先端の知識を必要とする志士が多く存在し、

万次郎に英語や航海術を学びに来る人は多かったそうです。


万次郎の持っている情報は、まぎれもなく


誰も知らない情報であったこと

万次郎の情報は第三者を介して坂本龍馬にいきわたり、

(万次郎と龍馬が会ったという記録は残っていないそうです)

龍馬は万次郎の影響を大きく受け、日本の改革に繋がるわけです。


以上が貧しい漁師から幕府直参の大出世となった、

ジョン万次郎の簡単なまとめです。


(ジョン万次郎)


万次郎の残した言葉の中に、以下のような言葉があります。


「日本では外国人をまるで鳥や獣のように扱うというので、

アメリカでは皆が残念に思っています。」


「そもそもあちらでは自他の差別はなく、

人は皆同じと理解しています。」


どうですか?日本は昔も今も同じじゃないですか?

外国人に対して、自分と異なる人に対して、どう接していますか?



みんなで一緒に土佐清水に行こう!


ジョン万次郎のふるさと、土佐清水で越境会6周年大会を行います。

いよいよ今回、第6回目となりました。毎回100名以上が参加。


海外の外務省の方、大学の先生、経営者など外国人も来ます。

経営者からサラリーマン、主婦、子どもまで、海外志向の方たくさん!

そして土佐清水市長や市議会議員、土佐清水の経営者まで!


とにかく、素敵なたくさんの方々が集まり土佐清水を体験します!

ぜひ気軽にご参加ください。あり得ない企画が盛りだくさんです(笑)

詳細と申込は以下のリンクから。


【 2019年7月5日(金)~7月7日(日)】 越境会6周年記念大会@土佐清水

~ 幕末の越境人ジョン万次郎、遣唐使空海。そのゆかりの地へ ~



大事なお知らせ


【 2019年7月5日(金)~7月7日(日)】 越境会6周年記念大会@土佐清水

~ 幕末の越境人ジョン万次郎、遣唐使空海。そのゆかりの地へ ~ 人生観ガラリと変わる!年に1度の大イベント!海外好きな人集まれ!

【2019年6月6日(木)~6月9日(日)4日間】 第4回 越境3.0鎮江市政府友好視察団&セレモニー 詳細決定! 現地ではたくさんの鎮江市政府の幹部の方々や企業のトップたちと、 連日連夜様々な交流が行われ、現地とのビジネス関係を構築します。


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